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前橋地方裁判所沼田支部 昭和33年(わ)24号 判決

被告人 東伝之助

主文

被告人は無罪。

理由

検察官大塚仁平が被告人につき公訴を提起した公訴事実は次の通りである。

被告人は前橋地方裁判所沼田支部昭和三十年(ワ)第三三号原告西山秀男外一名被告松井竹次郎間の建物収去土地明渡請求事件について証人として尋問された際宣誓の上

第一昭和三十一年二月三日同庁法廷に於て

一、原告代理人の問に対し

(イ)  同事件係争の土地の耕作方につき松井竹次郎(被告)の依頼に応じ西山歳雄(原告等の亡父)に対しその交渉をしたのは自己が単独であつたのに「私と笠原さんが仲に入つて田地を借りてやつた」旨

(ロ)  同土地を西山から松井竹次郎に引渡し耕作させるについて小作料等の支払に関しては別段の取決めはなかつたのに「小作料は農地委員会が小作料承認書を作つて出すので金額は決めませんでした。尚当時私は農地委員だつたので無茶なことは書けないので後に記入すればいいだろうと言うことでした」と

(ハ)  松井竹次郎は同土地を引渡して耕作させるについて契約書の作成された昭和二十三年二月二十九日当時は旧利根郡薄根村大字下沼田五六二番地の現在原告西山秀雄等の居住する家屋に居住中であつたのに「その書類(該契約書)に書いた頃は居りませんでした」と恰も他出中であつたように

二、被告松井竹次郎の間に対し

西山歳雄から松井竹次郎に対し前記土地を引渡し耕作させるについて別段小作料等に関しての取り決めはなかつたのに「小作料は払うのが当然です」と

三、裁判官の問に対し

(イ)  自己は松井竹次郎(被告)と何等親族関係はなく若しあるとすれば同人の亡父の実弟である原告等の祖父西山文之助とも若干の親族関係があるべき筈であるのに「西山方とは赤の他人である」又「松井竹次郎とは昔は関係がありませんでしたが現在は遠い親戚に当ります」と

(ロ)  前記西山歳雄(原告等の父)から松井竹次郎(被告)は土地を引渡し耕作させる契約書作成の際自己は単に近隣者の代表として立会人となり該契約書に署名したのであつたのに「農地委員の肩書を兼ね立会人となつたものである」旨

第二同年九月五日同所に於て

裁判官の問に対し

前記西山歳雄から松井竹次郎に対し係争の土地を引渡し耕作させる契約書の出来た際小作料等については何等の取決めもなく又将来取決めるべき申合せもなかつたのに拘らず「作らせる話がはつきりすれば小作料は当事者間で決めることでその時は決めませんでした」と

各事実に反した証言をなし以て偽証したものである。

元来偽証は、宣誓違反の行為を謂い、法律により宣誓した証人が五官によつて知り得た事実を自己の記憶に反することを認識しながら敢て供述した場合に偽証罪が成立するのであつて、その証人の供述が社会現象である客観的事実と符合すると否とを問わないのである。従つて証人が自己の記憶に基き供述した以上、その供述が客観的事実と異つたとするも偽証罪の成立する余地がないのに反し、自己の記憶に反した供述を為せば、その供述が偶々客観的事実と符合していた場合においても偽証罪が成立すると謂わねばならない。

之を本件に観るに、前記訴因は偽証罪の構成要件である事実全部を明示しない不備のものであると謂わざるを得ないのであるが、原告西山秀男外一名と被告松井竹次郎間の前橋地方裁判所沼田支部昭和三〇年(ワ)第三三号建物収去土地明渡請求事件の昭和三十一年二月三日付口頭弁論調書抄本(証人東伝之助、同笠原七蔵調書を含む)昭和三十一年三月二十三日付口頭弁論調書謄本(証人西山文之助調書を含む)昭和三十一年七月十八日付口頭弁論調書謄本(証人深代英寿調書を含む)昭和三十一年九月五日付口頭弁論調書謄本(証人笠原七蔵、同東伝之助、同西山文之助各調書を含む)笠原七蔵の検察官に対する昭和三十年八月二十九日付供述調書謄本及び昭和三十二年九月五日付供述調書深代英寿の検察官に対する供述調書謄本、西山文之助の検察官に対する供述調書、証人深代英寿の当公判廷に於ける証言、被告人の検察官に対する各供述調書並びに供述調書謄本(但し後記認定に反する部分を除く)被告人の当公判廷に於ける供述、押収に係る契約書(物第十一号)登記簿謄本(物第十二号乃至第十七号)を彼此対比し、且つ綜合して考えれば次の通り認定できる。

第一、被告人が原告西山秀男外一名と被告松井竹次郎間の前橋地方裁判所沼田支部昭和三〇年(ワ)第三三号建物収去土地明渡請求事件につき昭和三十一年二月三日、同年九月五日の各口頭弁論期日に証人として宣誓の上、供述したことは明認できる。

第二、被告人が昭和三十一年二月三日の前記口頭弁論期日に証人として原告代理人から「その書類(甲第一号証即ち本件物第十一号)は何で作つたのですか」と問われ「それは松井竹次郎さんが家にはいなく他所へ行つて居たが、食糧がないので田地を耕作させてくれと言つたところ、西山さんがいい返事をしなかつたので、私と笠原さんが仲に入つて田地を借りてやつたとき作つたものですが、名前は私の自筆なので「はん」は無くてもいいだろうと言い丁度持つて居なかつたので押しませんでした」と供述したことを推認できる。

そこで被告人の右供述が偽証罪を構成するかどうかについて考えるに、右口頭弁論調書の証人調書の記載は、前記の各証拠を総合して認め得る事実を適確に要約したものでないとの譏を免れないところであるが、昭和二十三年二月二十九日に西山歳雄と松井竹次郎との間に成立した土地、農具等動産に関する契約には、被告人ばかりでなく、笠原七蔵及び高橋貞次郎、深代英寿も立会人又は仲介人として関与しているのであつて、従つて右契約成立前の過程において被告人が単独で仲介の労を執つたとしても、右契約成立の際には、被告人が、単独ではないのであるから、被告人が自己の記憶に反しているという認識を有しながら敢て前記供述をしたと断ずべき何等の証拠もない本件においては、被告人の右供述は、偽証罪を構成しないと謂わざるを得ない。

第三、被告人が昭和三十一年二月三日の前記口頭弁論期日に証人として原告代理人の「その時(甲第一号証、本件の物第十一号成立の時)小作料はどう決りましたか」という質問に対し「小作料は農地委員会が小作料承認書を作つて出すので、金額は決めませんでした。なおその時私は農地委員だつたので無茶な事は書けないので後に記入すればいいだろうという事でした」と供述したことを推知できる。

原告代理人が為した「その時小作料はどうきまりましたか」という質問は「その時小作料を支払うことに決つたのか、支払わないことに決つたのか」「小作料の額は幾何と決つたのか」という二義を包含すると解せられるが、被告人は右質問を後者と考え、又当時小作料は田畑一筆毎に公定価格があり農地委員会の係員が調査の上小作承認書を作成し当事者が之に署名押印する習慣になつていたことを考えて、前記の如く供述したことが窺えるのであつて、被告人が記憶に反すると認識しながら敢て前示供述をしたものと認むべき何等の証拠もない。従つて被告人の右供述は偽証罪を構成しないと断ぜざるを得ない。

第四、被告人が昭和三十一年二月三日の前記口頭弁論期日に証人として原告代理人に「松井竹次郎さんは家に居なかつた人ですか」と質問されたのに「中学を卒業する迄と内儀さんを貰う時居た丈です」と答え、更に「内儀さんを貰う時はどの位居りましたか」と質問されたのに「二、三年居りました」と述べ、「その後はどうしましたか」と問われ「その書類(甲第一号証、本件の物第十一号)に書いた頃は居りませんでした」と答え、更に「その居ない問は農業をやらなかつたのですか」と聞かれて「農業をやつたことは聞きません」と供述していることが認められる。

以上の質問応答は、松井竹次郎が生家に居住して農業に従事したかどうかであつて、右調書の措辞は必ずしも正確でないかも知れないが片言隻句に捉われず前後脈絡せしめて考えれば真実に合致するものであり、被告人が自己の記憶に反した供述をしたとの確証もない本件は偽証罪を構成しないと謂うべきである。

第五、被告人が昭和三十一年二月三日の前記口頭弁論期日に証人として被告から「小作料を払うのが当然ですか、出さぬのが当然ですか」と質問されて「小作料は払うのが当然です」と答えていることを認め得るけれども、被告人が五官によつて知り得た事項に関し質問されたのではなく、意見を求められたに過ぎないのであるから偽証罪の成否に関する事項ではない。

第六、被告人が昭和三十一年二月三日の前記口頭弁論期日に証人として裁判官から「証人と西山家との関係は」と問われ「私とは赤の他人です」と答え、「証人と松井竹次郎との関係は」重ねて質されたので「昔は関係ありませんでしたが、現在は遠い親戚に当ります」と供述し、更に「他人でありながら契約書を作る時、仲に入つた理由は」と質問され「農地委員という肩書と西山の方の隣組の代表者ということで私は加わり、笠原さんは松井さんの方の隣組の代表者として加わりました」と供述していることを認め得る。

元来前示民事事件の原告西山秀男、同西山賢一は、祖父西山文之助の婿養子西山歳雄の子にして、右西山文之助は松井竹次郎の父松井仁助の実弟で、右仁助の死後竹次郎の母と婚姻したという身分関係があり、又被告人の長女が婚姻した夫の清水佳紀は松井竹次郎の数代前に分家した分家筋に当る松井郷正の母の妹の子、即ち従兄弟であること、被告人が昭和二十三年当時群馬県利根郡薄根村農地委員会の農地委員であつたことを勘案して前記問答を再考すれば、問「証人と西山家との関係は」答「私とは赤の他人です」問「証人と松井竹次郎との関係は」答「昔は関係ありませんでしたが、現在は遠い親戚に当りますけれども、他人と全く同様です」問「他人でありながら契約書を作る時仲に入つた理由は」答「私は当時農地委員という肩書がありましたし、西山の方の隣組代表者ということで私は加わり、笠原さんは……云々」となるべきものと認められるのであつて、特定の事項につき表裏から質問することは往々行われるところであり、前後の供述が異る場合は、前の供述を後に訂正したものと認めるべきで、証人の尋問開始から終了までの間に為された供述の訂正は偽証罪を構成しないと解するのを正当とし、被告人の前記供述が被告人の記憶に反した供述であるとの証拠もないから右供述はいづれも偽証罪とならない。

第七、被告人が昭和三十一年九月五日の前記口頭弁論期日に証人として裁判官の「その時(甲第一号証、本件の物第十一号作成のとき)耕作料の話が出ましたか」と問われ「作らせることがはつきりすれば小作料は当事者間で決めることで、その時は決めませんでした」と答えたことを認め得るが、被告人の右供述は質問に答えていない譏はあるけれども、右供述は、被告人の記憶に反したものであると認むべき何等の証拠もなく、却つて被告人が記憶に基いて供述したと認められるので、偽証罪を構成する余地がない。

由之観之前掲公訴事実としての各訴因である被告人の所為は、いづれも偽証罪を構成する行為ではないから刑事訴訟法第三百三十六条により無罪の言渡をすべきものとする。

仍つて主文の通り判決する。

(裁判官 細井淳三)

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